上海隔離からの脱出記
2022. 5. 3
上海隔離からの脱出記

この特殊な時期に帰国された弊所のクライアントの体験談を紹介いたします。
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上海においてはまだまだ厳しい封鎖が続いており、在住の皆様においては大変な毎日が続いていることとお見舞い申し上げます。
私はちょうどこの3月で12年の駐在勤務を終え退任となり、何とか4月17日に何とか帰国いたしましたが、ちょうどロックダウンの時期と重なってしまい、日本の民放のニュース番組にもオンラインでインタービューを受けたりして一部の方からは「上海で最もアンラッキーな日本人」とも呼ばれておりました。
当初は3月20日の直行便にて帰国を予定しておりましたが、後任者の赴任が遅れそうなこと、日本政府の入国政策が緩和されたことも皆様からの送別会のご依頼に全てお応えできない状況もあり、3月27日の便にて帰国することを決めました。
2月15日に退任発令が出てから皆様から送別会のお誘いを毎晩いただいておりましたが、3月13日の週より自粛ムードと地域封鎖が徐々に始まり、当時はまだ2、3日の隔離であったため21日以降に事前通告があればホテルに避難するつもりでした。
3月19日の夜10時半頃に自宅の浦東のホテルレジデンスに飲み会から戻ったところ1時間半後に封鎖すると言われましたが、翌日に帰国荷物をまとめる予定で避難できる準備を何もしていなかったことと、さすがに長くても3、4日で解放されるだろうという判断でそのまま隔離されることになってしまいました。
ご存じのようにその後の隔離措置強化により、3月27日の便には搭乗できませんでした。同じホテルレジデンスで帰国、一時帰国予定の方々ともwechatグループを作って情報交換を行っておりましたが、中々打開策を見出せずにおりました。その後も3月30日の大連便、4月3日の予約も入れましたが、地域の委員会やホテル担当者からは全く相手にされずに当時は封鎖解除を待つことしかできずに時間だけが過ぎて行きました。
4月10日に同じレジデンスから一人脱出に成功された人がようやく出てきました。公安に直接電話を入れて窮状を訴えたことで公安がホテルレジデンスに確認を入れてくれたようでした。公安には本人が直接連絡する必要があるため、中国語で交渉できないと思い私は最初から諦めてましたが、通訳を向こうで付けてくれたようです。公安も市民からの連絡に対して無視できないことと、ホテルや委員会も公安からの介入があると面子や立場上よくないようで、対応がガラッと変わりました。
私も同じ方法を試みることにして4月11日から動き始めました。ホテルからはパスポート、E-Ticket控え、総領事館からのサポートレターを用意するように言われ、4月13日には準備して提出しました。
まだ帰国のためにはいくつかのハードルがありました。①一度レジデンスを出てしまうと二度と戻って来れないことが条件のため日本政府指定のPCR検査を極力早く出してくれる検査施設を探すこと、②前日にホテルを出ないと17日の便には乗れないことが想定されたので移動手段の確保、③前泊ホテルの予約(最悪は空港ロビーで過ごすことも検討しました。)④前泊ホテルの入館と空港に入る条件が48時間以内のPCR検査の陰性証明書と24時間以内の抗原検査の陰性証明書の提示であったのでこれらも全て用意する必要があったことです。

PCR検査については日本に留学経験のある知り合いの医師が親身になって相談に乗ってくださり、前日の16日に自宅近くの病院の救急でPCR検査を受けさせていただき、その結果を日本政府指定のフォーマットにて証明書を作成してくださいました。
サポートレターや最新情報については総領事館が同じく親身になって相談に乗っていただきましたが、移動手段については弁護士に格段のご配慮をいただき当日の移動についての手配をお願いしました。
抗原検査については住まいではほぼ毎日受けさせられておりましたが、前泊で予約したホテルでもチェックイン時に有料で受けることができたことと、朝にも検査キットが配布されておりました。
前泊ホテルにおいてはPCR検査の結果が出ていなかったため、すぐにはチェックインで来ませんでしたが、結果的には検査からアプリへの反映は5時間で出たため午後にはチェックインできました。
ここまで来れば後は帰国便に搭乗するだけなので、ようやく安堵した次第です。

帰国前日の各種手配が鍵でしたが、本当に数多くの皆様のサポートとご支援のお陰だったと思います。感謝してもしきれないくらいです。

今は12年ぶりの日本での生活に順応するべく、各種手続き、久しぶりに会う友人との会食などでゴールデンウィークも過ぎていっております。
日本への帰国も2年2ヶ月ぶりなので、日本の厳しい状況だった際の雰囲気を知らないことと、日本もまだまだ多くのオミクロン陽性者が出ておりますが、帰国してからの2週間での街中は極めて冷静に行動しているように思います。
上海及び中国各地の封鎖がいち早く解除されることと、上海での数多くの友人の皆様と早く再会できるように日中が自由に行き来できるようになる日が戻ることを祈っている次第です。